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唯一明らかなことは、僕はもっとタフにならなければならないということだ。結局のところ精神的な病はその人間自身の弱さに起因する。自分自身が直面している現実を咀嚼し嚥下するだけの力が足りないのだ。

 

人は皆幸せになるために生きていて、僕にも当然幸せになる権利があると信じて疑わなかった。けれどその認識は間違っていたらしい。この世界はあまりにも不条理だ。幸福になるか不幸になるかについて人間にどれだけの裁量が与えられているのだろう。どのようなやり方をもってしても不幸にしかなり得なかったであろう人生が現に存在する中で、万人が幸福になるための方法を声高に説く人々がどれだけ浅ましく思えることだろう。

 

生きるということと幸せになるということを結びつけるべきではないのだ。幸せになろうが不幸せになろうが僕たちは生きなければならない。「それでも」生きていくしかないのだ。

4-2

寂しさの捌け口を求めて街をさまようナンパ男に、思慮の浅い田舎者の少女が引っかかったというだけの話なのに、どうして文章を媒介させるだけで意味ありげなストーリーが浮かび上がるのだろう。出来事を切り取った瞬間にそこに何かしらの意味づけがなされることは必然ではあるけれど、恋愛については殊更であるように思う。

 

僕たちは家に辿り着いた。お互いの服はびしょ濡れだった。彼女にシャワーを貸して、僕が普段着ているTシャツを渡した。彼女の服は浴室乾燥機で乾かしておいた。あれ、僕はいつシャワーを浴びたんだっけ。順番が曖昧だけれど、とにかく僕は彼女がシャワーを浴びているときに冷蔵庫に入っている桃を切った。そして僕と彼女はソファーに横並びになって桃を食べた。静かな時間だった。彼女と何を話したのか覚えていない。セックスはしたけれどそれも印象に残っていない。ただ二人で桃を食べたあの時間には確からしい価値があった。彼女は幸せそうだった。それがはっきりと感じられた。くだらないありふれた陳腐な出会いの中の、ほんの一瞬の輝きだった。

 

彼女とは三週間後にもう一度だけ会った。渋谷のスタバの前で再会したとき、彼女の印象は変わっていた。口には真っ赤な口紅が引かれ、髪の毛先は綺麗にカールしていた。最初会った時と比べて随分と垢抜けた印象だった。お金に余裕がある様子ではなかったのに、こんなにすぐに東京に来れることが不思議だった。話を聞くと、彼女は交通費を捻出するために風俗で働き始めていた。彼女はあっけらかんとしていたし、僕自身も罪悪感のようなものは感じていなかった。そういう事実を冷静に認識しただけだった。部屋に泊めた彼女を駅まで見送った後、ラインをブロックした。

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2年前の夏、渋谷のセンター街で三重から一人で旅行に来ていた女の子をナンパした。欺瞞の中に紛れ込んだ真実という切り口で過去を振り返ったときに彼女のことを思い出したので、書いてみようと思う。

 

垢抜けていない小柄な女の子だった。旅行者とわかる紙袋を下げて、目的もなく歩いている様子だったので話しかけやすかった。一緒に晩御飯を食べて、カラオケでキスをした。僕がソファに腰掛けて、彼女が僕の上に跨っていた。部屋に誘うと、「期待してるようなことにはならないよ」と彼女は言った。たぶん僕は「ただもう少し一緒にいたいだけ」とか言っただろう。彼女は滞在しているホテルに戻る必要があったので、一度別れた。もし会いたいと思ったらラインをすると僕に約束して。数時間後に彼女から連絡が来たので最寄駅を伝えた。

 

僕は駅で彼女を待っていた。土砂降りだった。彼女は傘を持っていなかったので、自分の傘に彼女を入れて家に向かった。途中、風があまりにも強かったので傘が折れて使いものにならなくなった。僕と彼女は手を繋いで笑いながら暴風雨の中を走った。

3

僕の数年間の苦しみの原因は自分自身と世界の不完全さを許容することができなかったことにある。もちろんそれだって一つの暫定解にすぎないのだけれど。こうした注釈を挟んでしまうこと自体に何か芝居がかったものを感じる。美しい文章を表面的に真似しようとして完全に失敗している滑稽で哀れなあり様。だから僕は文章を書くことが好きではなかった。僕の言葉は他人の言葉でしかなくて、あまりにもたくさんの手垢にまみれていて、その醜さを直視することができなかった。けれど何かを表現する上でこういったプロセスは避けては通れないのだろう。優れた文筆家は簡潔な言葉を使う。彼らの紡ぐ言葉は必然的であるがゆえに美しい。しかしその美しさの背後には目に見えない無数の補助線が引かれている。僕は今、療養のために文章を書いている。不必要な言葉を付け加えることで美しさが損なわれたとしても、自分自身の感情が正確に言葉に換えられているという事実のほうがより重要だ。話が脇道に逸れてしまったようだけれど、結局この話も最初に述べた不完全さの許容というテーマと結びついている。

 

世界は嘘と欺瞞で満ちている。ポップソングの歌詞で何遍も使い古されているであろうフレーズだが、紛れもない事実だ。僕は18歳の時にそれをぼんやりと感じ取った。人より少し遅かったかもしれない。偏差値が支配する価値体系の中に安住していた僕はあまりにも無防備だった。困惑し、錯乱し、停止した。たくさんの宗教が僕に手を差し伸べていた。その内側にある嘘を感じ取った瞬間に怒りが沸き起こった。僕はその一つ一つに嘘というラベルを貼りつけていった。気がつくと僕の周囲に存在しているものすべてが嘘に置き換わっていた。僕は完全に美しいものを求めた。それはヘッセの小説であり、モネの絵画だった。そういうものに触れているとき、僕の心は安らいだ。僕は彼らと同じ世界にいるのだと感じられた。しかしそこにも欺瞞があった。命を賭けた戦いの末に美しさを勝ち取った彼らと、あらゆるものから逃げ続けた末の慰みに彼らの生み出した美しさに触れている僕とでは、何もかもが違っていた。彼らは創造者で、僕は乞食だった。そして僕は自分自身に嘘のラベルを貼りつけた。

 

不完全さを許容するということは、不完全さの中に留まること許容するということとイコールではない。今の自分を受け入れることが大事だというありふれたメッセージを聞かされるたびに、そんなものは自己欺瞞だと切り捨ててきた。しかし不完全な自分自身を許さないということは、自分以外の不完全な一切の事物を拒絶することを意味する。中にはそういうやり方で生き抜く人もいるのかもしれないけれど、凡人には到底不可能だろう。憔悴しきっていたとき、僕はニーチェの思想に深く傾倒した。心の中で「ああ、その通りだ!」と叫び、涙を流しながら『ツァラトストラかく語りき』を読んだ。しかし現実の僕はあまりに不完全で未熟な存在だった。彼の説く理想は僕をさらに追い詰めた。それを実践することはできない自分は生きる価値がないのだと悟った。そして僕は限りなく死の淵に近づいた。僕が彼の思想を正確に理解していたかどうかは疑わしい。感情移入が強くなされるときにはその本を正確に読むことはできない。だからニーチェの思想それ自体について言及することは適切でないが、彼の言葉を通じて僕の中に形作られた思想は僕にとって僕自身を破壊する力を持つものだった。

 

人間は完全な存在に近づくために生きている。それを諦めて偽の現実の中に安住することを選んだ人間を僕は愛することができない。だが僕は完全さを求めてさまよう不完全な人間を愛する。孤独な者同士が身を寄せ合うことは欺瞞だろうか。欺瞞を内に含むことは悪だろうか。欺瞞の中に真実は一つも存在しないだろうか。僕はそれらをもう一度自分の目で確かめる必要がある。

2-1

僕の両親は平凡な人間だった。誰かに自分の両親の人間性を説明しようとしても、それ以外の言葉が思い浮かばない。彼らが何を考えて何を感じて生きてきたのか僕は知らない。それを推察させるような手がかりは親としての彼らの姿からは得ることができない。

 

僕もまた平凡な人間として生きてきた。勉強が人よりもできるという小さなプライドを持ち合わせながら、いわゆるエリートとして定義づけられた幸せを手に入れる心算だった。特別な何かを成し遂げようと考えたことはなかった。進学校という環境はある意味無菌室のようなものだった。僕は多くのことを考える必要がなかったし、偏差値が僕という存在を全肯定してくれた。多少の閉塞感を抱えながらも、それを掘り下げることもなく勉強を続け、東京大学に入学した。

 

 

1-2

その過程で僕の精神は限りなく荒廃した。僕はたった一人で世界に立ち向かっていた。僕だけが美しいものを見ている。僕にはそれを表現する使命がある。それができない人生に何の価値があるだろうか。その思いの強さとは反比例するように、思考の明晰さは失われ、ありとあらゆる強迫的な症状が現れた。鏡に映る目は完全に狂人のそれだった。平凡であることも非凡であることも許されないのなら生きる道はなかった。

 

両親の判断で僕は実家に連れ戻された。自分の部屋に足を踏み入れた途端に二度嘔吐いた。この狭い部屋で薬漬けになりながら一生を終えることを想像して恐ろしくなった。どこかに逃げ出したかった。しかしどこにも行く宛てはなかった。そんな場所はとうの昔に探し尽くしていた。

 

部屋でうわ言を口走っていると父が神経質そうな声で僕に話しかけてきた。「頼むから病院に行ってくれないか」その口調は強圧的だった。懇願ではなく命令だった。父は僕を恐れていた。僕は頷くしかなかった。外の世界との共通言語を失っていることを悟り、絶望した。狂気の世界は底なし沼だった。深く沈めば沈むほど、僕の声は誰にも届かなくなっていく。精神病院の格子付きの部屋に閉じ込められ、叫びながら扉を何度も何度も叩きつけるが、数人がかりで押さえつけられて拘束され、強い薬を飲まされて意識が混濁する。頭の中で繰り返した妄想が限りなく現実に近づいていた。

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こうしてキーボードに手を置いた途端に、何を書くべきか分からなくなってしまうのはどうしてだろう。あるメッセージを形作っていたはずの思考の断片が散り散りになって、海に投げ込まれたコンクリートのように深い場所に沈んでいく。物を書くということは、思考の深部に沈んでしまったそれらをもう一度取り出して、元の形につなぎ合わせる試みといえるかもしれない。

 

一昨日Yに言われたことを頭の中で何回も反芻した。電話を切った後、全身の力が虚脱していた。おまけに朝まで一睡もできなかった。「今の君は浅はかで未熟で幼稚で何も成し遂げることなんかできやしない」Yの言葉はそう告げていた。僕はその言葉に激しく動揺した。

 

この一年間僕は人と関わらなかった。もともと人との接点は極端に少なかったけれど、寂しさを感じるときは触れ合いを求めるために何かしらのアクションを起こしていた。それは出会い系サイトであり、ナンパであり、ほんの少しアウトローな飲み屋だった。僕はそれらの場所で起きた出会いを総じて欺瞞的なものであると結論づけた。そして自分自身の奥深いところに真実があり、その場所に辿り着かなければならないと思った。孤独な生涯を歩んだ芸術家に心酔し、僕は彼らと同じように特別な才能を宿しているのだと確信した。自分の外側の世界は全て嘘に塗りたくられていて、僕以外の人間は皆凡庸で、僕だけが美しい存在だった。